ウイスキーには深い歴史があり、さまざまな偶然が重なって誕生しました。ウイスキーの歴史を知ることで、味わい方も変わるかもしれません。ここでは、琥珀色のウイスキーが誕生した歴史についてご紹介します。
昔のウイスキー
ウイスキーは、中世ヨーロッパの錬金術から生まれたといわれています。水と塩を分けたり、水を蒸気にしたりする蒸留技術が、穀類にも使用されるようになり、お酒作りにも活用されるようになりました。蒸留技術を活用してできたお酒は、生命の水・不老長寿の秘薬として扱われます。そして、この技術がスコットランドへ伝わり、生命の水(アクアヴィテ)がウシュク・ベーハと訳されて、ウイスキーとなったとされています。
当時のウイスキーは蒸留はするものの、樽で長期間寝かせる熟成工程がありませんでした。蒸留したてのニューポットは無色透明で刺激が強く、今のような琥珀色のウイスキーではなかったのです。17世紀頃のウイスキーは無色透明が当たり前でした。
18世紀ごろ
1700年代初頭になると、スコットランドでは高い税金をウイスキーに課すようになります。酒税法を設けた目的は、イングランドがスコットランドを合併して財源を確保することでした。すると、ウイスキーを製造していた人たちは、税金逃れのために、各地の山奥に隠れてウイスキーを作るようになりました。これがウイスキー密造時代の始まりです。山奥で密造している人たちは、現地にあったピートを使うなどしてウイスキーを作り、近くにあったシェリー樽に入れて保管し、買い手が見つかるまでの間長期間隠していました。シェリー樽に入れて長期間寝かせたことにより、ウイスキーが熟成され、無色透明が当たり前だったウイスキーが香ばしくまろやかな琥珀色になりました。モルトウイスキーの誕生です。
税金逃れを目的としたウイスキーの密造は実に100年以上続き、酒税法が改正される1823年まで行われました。今日では当たり前とも言える琥珀色のウイスキーが生まれたのは、当時のさまざまな偶然が重なったためともいえます。ウイスキーは、まさに偶然の産物なのです。
それ以降
税金逃れの密造をきっかけに琥珀色のウイスキーが誕生しましたが、酒税法改正後に取り締まりが強化されたこともあり、密造者が少なくなっていきました。特に、南部のローランド地方の密造者の数は激減しました。しかし、密造が減るにつれてウイスキーの製造技術は高まり、蒸留効率を高めるために単式蒸留器に改良が加えられるようになりました。
政府は密造撲滅のために取り締まりをさらに強化しますが、ウイスキーの密造は完全にはなくなりませんでした。その後、1823年に政府がウイスキー製造認可料を導入。密造者や密売人は合法的にウイスキーの製造販売ができるようになり、100年以上続いたウイスキー密造時代は幕を閉じました。
琥珀色で香ばしく美味しいウイスキーですが、当時は無色透明でした。国の財源確保のためにウイスキーに高い酒税が課せられたことで、密造が始まり、たまたま熟成されたことで琥珀色のウイスキーが誕生しました。普段何気なく飲んでいるウイスキーには、深い歴史が詰まっているのですね。
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